ヤジについて

 2022年3月3日に議会運営委員会が開催された。議題は「武蔵野市議会の品位向上を求める陳情」の審査である。結果は「意見付き採択」となった。頂いた陳情は採択か不採択のいずれかと決する。但し、特例として採択に際し委員会としての意見を付けることができる。今回は「会議における議事整理、秩序保持等は、議長及び委員長の権限によるものである。議員の賞罰に関しても議会内自治によるものであり、本人が反省していることから、決議の提出には至らないと判断した。今後も、武蔵野市議会として、議会基本条例第8条(議員倫理)に基づき、市民の疑念を招くことがないよう、綱紀粛正に努めるものとする。」という意見がついての採択となった。
 この結論に至ったことは良かったと思っている。武蔵野市議会では、意見付き採択という形を取るためには、委員の全会一致が前提となっている。即ち、多数決で決めるのではなく、意見調整をして全会一致となることを求めている。様々な政治姿勢で臨んでいる各議員が、全会一致という結論に至るのはなかなか難しい。その意味で、良かったと思っている。
 一方で、重大な課題が炙り出された。薄々感じてはいたのだが・・・審議の中で、不規則発言(≒ヤジ)とは何を指すのかについて意見交換をした。陳情に記載の通り、会議規則において「何人も、会議中は、みだりに発言し、騒ぎ、その他議事の妨害となる行動をしてはいけない」と定められている。これを前提として、「程度問題だ」「現状を鑑みると、仕方ない面もある」といった意見が相次ぐ。私は「ヤジはゼロだ」と考えている。恐る恐る発言する。軽くスルーされた。が、副委員長が「現代はハラスメントが取り上げられている時代であるので、何を言ってはいけないかではなく、その言葉がどう受け止められるかも重要なのではないか」という問題提起をしてくれた。ありがたかった。私も「新人議員として、一般質問に立った時、ただでも緊張しているところに、えっ!という声が聞こえただけでも、心に衝撃が走った。」と意見した。議員倫理を考える時、自分の判断で「程度問題」としていることが問題だ。議員としての「品位」を保つことは、自分の判断ではなく、他人が、即ち市民の皆様にどう見えるのか、どう判定されるのかということに寄るはず。様々な理由で、今、市民の皆様の目が武蔵野市議会に向けられている。そして、「品がない」「見ていて気分が悪くなる」との声が多数寄せられていた。遂に、この陳情が提出された。このことを真摯に受け止める時なのではないか。
 もう一つ、意見の中に「議会内自治によるもの」と文言が入った。実は、陳情が提出された際、まず入口論として取り扱いについての議論があった。委員会での審議・審査に馴染まないという主張が出た。綱紀粛正に努めるのは議員として当然のことであり、陳情に依って取り上げるものではないと言うのだ。これまで、議会としての自浄努力ができていない、いや、努力ができていないとまでは言わないが、少なくとも成果が十分上がっていないと市民の皆様から指弾されたのだから、それを受け止めることが重要なのではないのか。議員歴3年が過ぎようとしている。ぼんやり感じていた違和感が、今回の議論を通して少しずつその意味合いが分かって来た気がした。
 議会基本条例に従って「綱紀粛正に努める」との結論になったが、条例はルールである。ルールとは、実は知識でしかない。知っているなら、行動しなければいけない。スポーツが分かり易いと思うが、ルールを明確にして真剣に戦うからこそ、取り組んで楽しく、観戦していても楽しい。いかにルールを守りながら勝利を収めるのか、それを追及することでその選手のプレースタイルが確立されていく。議会をスポーツに例えて良いのか、少し気が引けるところがあるが、少なくともルールを守り立ち振る舞うことは求められているはず。議員は職業である。職業は成果を出さなければいけない。議論に勝つことが成果ではなく、市民の皆様にちゃんと働いていると認めて頂くことのみが成果だと考える。
 最後に、ルールを守り、プレースタイルを確立した選手は、その先にフィロソフィーを打ち立てる。人生哲学である。この形でプレーするというスタイルを積み上げると、一人の人間としての拘りが生まれ哲学となる。武蔵野市議会は市民の皆様の声を傾聴し、それを具現化することが求められている。全ての議員が「そんなことは当然であり、分かっている」と答えるだろう。しかし、これはまだ知識でしかない。良い議論をするために、不規則発言(≒ヤジ)は必要なのか。ヤジを使わないプレースタイルを確立し、徹頭徹尾市民のために働くというフィロソフィーを持てるように、まだまだ努力しなければいけないと思う。

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ヤジについて” に対して1件のコメントがあります。

  1. あきら より:

    「議論に勝つことが成果ではなく、市民の皆様にちゃんと働いていると認めて頂くことのみが成果だと考える。」
    市民の代表としての議員が「ちゃんと働く」とは何か。

    多様な意見が認められるべきとされる現代において、議員が「ちゃんと働く」ことをどう捉えられているのか、気になりました。

    今後の活動で見せていただけることを期待しております。

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