住民投票条例案への討論原稿

こんにちは、武蔵野市議会議員の宮代一利です。定例会終了後、多数のお問合せをいただいている住民投票条例案への討論原稿をまず掲載いたします。

定例会の各議案への振り返りについては会派で行っているところのため、数日後に掲載予定です。

以下原稿です。読みながらアレンジしているところもありますため、正確な文言は市議会の議事録掲載をお待ちください。また作成については会派ワクワクはたらく2名(宮代一利・本多夏帆)で行いました。

当日の読み原稿

ワクワクはたらくを代表し、住民投票条例案に対し、右でも左でもない市民の声を代弁することを念頭に、反対します。今日までひたすらに市民の声に耳を傾けてきました。この15分はどうか私たちの話を聴いてください。

私たちが考える主な問題点は3つです。

第一に、住民投票制度そのものについての市民理解が得られていないことです。住民投票制度というものは、議会が機能不全に陥っている際により有効とされる、民主主義における手法のひとつです。この前提がある中で制度設計を行っていくことが求められますが、今巷で議論されていることは「外国人を含めるか否か」この点ばかり。この点については右左で考えがきっぱりと分かれている様相ですが、本来議論されなくてはならないのは制度全体の設計であり、また本来の目的を達成するためにより良い内容とすることが求められますが、現段階においてそこまでの議論を行うことはできていないに等しいと思います。また、市長は先日の答弁において「住民投票制度がここまで知られていないとは思わなかった、成立後に周知広報を徹底したい」という趣旨の発言をされていましたが、周知広報するのは制度成立後ではなく前と私たちは考えます。

第二に、この条例の制定過程において、リスクマネジメントが不足している点です。私たちの会派は第六期長期計画の流れから、今回外国人を含めることについて否定するものではないという考えをベースに、3月の骨子案から市民の動向を見てきました。3月・8月とどちらの市民意見交換会にも参加した唯一の議員が私ですが、この要件が設定された経緯は、これまでの武蔵野市が市民を広く取る定義づけを行ってきており、そのことから導き出した答えであると想像しています。その点については第六期長期計画や自治基本条例の議論からの経緯があり、その中での市民参加においても丁寧に議論してきた方々が存在することは事実です。そうした活動をされてきた市民の方々や向き合ってきた職員に対し、感謝と敬意を表します。

その一方で本来リスクマネジメントとして考えるべきは、市側の説明にあるように「特定の意図を持った集団」であり、それは日本人であっても外国人であっても変わりません。何か悪いことをする人は国籍など関係なくその個人が悪い、それだけです。民主主義において実際に不正の歴史はあり、それに対してどこまでリスクマネジメントを行うことができるか、それを踏まえた条例の中身と規則が求められます。このことは3月からの議員に対する意見募集時に何度も申し上げてきたことですが、今のところ私たちの意見による修正や対応はなく、細かいことは制定後にとされていると思います。しかしこれだけ思想により意見が真っ二つに分かれる提案をする中で、どちらかに寄せた内容を設定するのであれば、それこそバランスを取るあるいはリスクヘッジをし、完全なる納得は得られなくてもこれだけやりましたと説明する責任があるでしょう。ここが今回の案の実現可能性を最も損ねた部分と考えます。そもそも市民の定義を広く取ったのですから、その広い市民に対し複数のやり方の組み合わせであっても公平に意見を発する機会を作ることが本来の目的から求められることであり、この住民投票制度で国籍だけがクローズアップされてしまったのは、公平性を担保する全体的な提案がなくリスクへの対策不足が原因として大きいと思います。

第三に、政策目的と手段、プロセスの妥当性、そして優先順位です。この制度は何のために制定するのでしょうか。本来の目的は市民自治の推進ですよね。今武蔵野市が抱えている市民自治の課題については、第六期長期計画でこのように述べられています。引用します。

「本市の市民自治による市政運営や共助のまちづくりは、活発な市民参加と協働の取組みにより支えられてきたが、参加する市民の固定化に伴い、市民参加の裾野の拡大が課題となっている。高齢世代のほか、まちの将来の担い手として期待される若者、子育て世代、転入者等の市政や地域への参加を促し、その活動を支援して、地域への愛着を高め、市民自治によるまちづくりの発展を図る。より丁寧で効果的な市民参加手法を整え、市民・市民団体をはじめとする様々な主体との連携・協働の取組みを推進していく。」

引用終わり。この内容に沿い、1つひとつ計画的に施策を打ち出していくことは理解できます。しかしそもそも課題となっている「参加する市民の固定化」の部分、これを打開することなく施策を打っていったらどうなると思いますか。今がその答えではないでしょうか。計画などの策定委員会のメンバーは、有識者含め同じ方ばかりになっていませんか?市民意見交換会や意見募集は多様な方が参加できるようにしていますか?などと、私たちはこの2年半繰り返しお伝えしてきました。

そしてプロセスにおいて、計画に則り事業を行っていく中で、コロナ禍では事業の見直しなども多数行われてきました。そうした有事の際に見直しをすることは大変大切ですが、こうした制度を策定するにあたり、途中でさまざまな意見が出てきたときにどこかで立ち止まることはできないのでしょうか。私は2回とも意見交換会に参加したと言いましたが、立ち止まることができたならそれは8月の意見交換会だったかなと考えています。参加者は10名と少なかったものの、賛否両論そしてなぜ今なのかという優先順位を問う意見は出ていました。これはその後のパブリックコメントにおいても、言うならば当初3月の意見募集や無作為抽出アンケートで反対意見が出ていたのは事実です。多様な意見が出てきたときにそのまま突き進むことが本当に望ましいのか、今回のことで分かったと思います。というか分かって欲しいです。これは先日の吉祥寺東部まちづくりの件でも起きたことで、市民とのコミュニケーションが不足した結果生じるのはまちの中における「分断」です。こんなこと市民は望んでいません。

市民の方の中には、自分は反対だけれどもきちんと議論したうえで賛成に決まるならそれでいいという意見や、今回クローズアップされることになってしまった外国にルーツを持つ方々にもさまざまな考えがあること、また中学生からも自分たちは何も知らされていない、議論に加わりたいという声などをもらいました。

一方で、話を聴いて欲しい!という中で「対話」にならないケースも多数ありました。最も良くないのはずっと話題になっていますが、ヘイトスピーチですね。ヘイトスピーチ、許さない!のポスターが庁内にあるのでホームページを見てみると、民主主義社会とヘイトスピーチというわかりやすいコラムがありました。例えば生徒会で役員を選ぶといったとき、以下引用ですが、もし意見の対立する相手方やグループに対し,一方的にクラスから排除することを主張したり,危害を加えるようなことを言って脅したり,著しく見下すような悪口を言うなどして,その人格を攻撃するという人が出てきたとしたら,どのような事態が生じるでしょうか。個々の児童や生徒の人格や尊厳が深く傷つけられ,場合によっては,非難の応酬や,あるいは沈黙が生まれ,クラスの中に回復し難い分断が生じてしまい,正常な議論や討論はできなくなることでしょう。〜中略〜選挙運動の自由や,表現の自由という大切な権利も,その使い方を誤ると,その基となる民主主義それ自体を壊しかねず,そうなれば,表現の自由の行使それ自体が危ぶまれる事態につながりかねません。引用終わり。このことは、考えを伝え合う中で守らなくてはならない大切な一線です。この間議論する中で一人ひとりがこのことを全うできていたでしょうか。

さて、法的な解釈論において、時の判断を下すのは裁判所です。今回の説明の中で「合理性」という言葉が散見されましたが、こうした解釈を生む言葉は、結局のところ意見をひとつにまとめることはできません。法解釈は論が立てば成り立つのですから、ある意味自由、それぞれが考え、それぞれの結論を導き出すものです。市もそうしたわけですが、賛成派も反対派もそれぞれの論を立てた。このことについて互いに論戦をすることは素晴らしいことですが、相手に対して裁定を下すのは自分ではない。論が成り立っているならそれは互いに尊重すべきものです。時の判断と言いましたが、裁判も多数決、政治も多数決です。正解は分からない。絶対はない。だからこそ対話が必要で、どのような前提条件に立っているのか、どういう背景なのか、そんなに単純な話ではないのです。今回はあまりに論点が単純化され、自分とは異なる考えを否定することが目的化されてしまったように感じ、とても残念に思っています。

中立派の会派として、これまで市長の提案であるパートナーシップ制度や子どもの医療費助成の拡大など賛成をしてきました。それは、そのことがまちの中でポジティブな機運の醸成に繋がると考えたからです。しかし、今回の案と今の状況でこれを可決することで、武蔵野市が目指す多様性を認め合うまちづくりが推進されるとは思えません。また、自分が推進したい案なら手続き論は甘く、反対したい案なら厳しくという姿勢は一貫性がないことからも、この決断へと至りました。

この条例案が通らなかったら、どうなるんですか?と以前に職員の方に聞いたことがあります。私たちはこの制定過程を見守ってきた立場から、反対という意思を表明することは大変苦しいことでもあり、合意形成をしていくことについて、自分たちにも非がないとは言えないと思っています。それでも今回勇気をもって初めてブレーキを踏むことを決めました。そこには職員の方の「もしこれがダメになっても、またきちんとやり直すだけです」という強い、頼もしい言葉があったからです。私たちもまた一緒に頑張らせていただきたいと心から思っています。

最後にお願いがあります。市民を含む全国の皆さん、そしてメディアの皆さまへ、今回武蔵野市のこの条例の結論を見て、外国人の部分だけを取り上げて争点にしないでください。条例案を検討するということはその一点だけで結論づけられるものではなく、さまざまな視点によって結論が導かれます。各議員の出した結論には、このようにそれぞれ理由があります。そこをぜひ捉えて今後も議論をしていただきたいです。

そして市民の皆さまへ、これで終わりにしないでください。今回特にご意見をいただく中で気になっていたのは、これまでは市に全てお任せしてきたが今回は意見を言いたい、特に「ちょっと待って」という声が多かったことです。私たちは、今回市政に興味を持ったという方々と武蔵野市の繋がりを失いたくないと思ったことからも、この結論を選びました。信頼して任せる、確かにそれも大切なことです。しかし、この地域の投票率を見ても40%台、多くの方が市政に対してあまり関心を寄せられていないように見受けられます。そういった状況の中で、市役所の方々も、そしてこれまで地域で活動をされてきた方々も、一生懸命にやられていることは事実だと私たちは思っています。市政というのは、市民のためのものです。できる限り多くの市民が関わっていかなくては、議論は充実していきません。暮らしの中で余力があればぜひ関わっていただきたいですし、そうでなくてもまず情報を受け取ること、そして対話をするために、市民の声を聴きこのまちの未来を考えるために議員がまちの中に26人います。政治の話はタブーではありません。自分たちが暮らす目の前の、足元の話です。ぜひこれからも関わっていただきますようお願いして、本条例案に対し反対の討論といたします。

なお、関連する陳情につきましては、私たちは前述したように外国人を含む要件については否定するものではなくもっと議論しましょうと考えることから、前提となる部分で多少異なる考えを持っていますが、趣旨として本条例案を再検討するという部分には賛同するため、採択の立場を取りますことをあわせて申し上げておきます。以上

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