武蔵野市に住んで早26年。地元小学生サッカーチームの指導歴20年!サラリーマンとしてバリバリ働きながらも子育てや自分育て、仲間づくりやまちづくりに深くかかわってきました。このたび、この街とそこに暮らす方々のお役にたてたらと決断し、2019年4月、武蔵野市議会議員に立候補し、当選しました。
これから、ワクワクする武蔵野をつくるため、皆様の声を聴き、はたらきます。

二人の息子

 南町に暮らして 26 年、二人の息子はまさに地域に育てていただきました。保育園時代の我が子はほんとうに愛おしかった。寝返り、立つ、歩く、話す、すべての動きが、昨日より今日、そして明日へと成長を見せてくれていました。三小に上がると二人とも武蔵野ウイングスサッカークラブに所属しサッカーを始めました。次男は 0 年生から参加していました。そこには、たくさんの仲間がいて、楽しそうにサッカーに取り組み、時に厳しく競い合い成長する姿を見せてくれました。夏休みには近所の公園で、長男と私は一緒に朝練をするようになりました。いつの間にか次男が参加するようになりました。次男の友達も一緒にやりたい!と提案が来て、仲間が増えました。このように、夏休みの朝練は長男と私の二人で始まった活動でした。近くの公園はとても小さく、住宅地に囲まれていましたから、次男の友達が参加することになってから舞台を三角公園に移すことになり、そしてもうすぐ 20 年を迎えることになります。  三中に進むと、兄弟二人は当たり前のようにサッカー部に入部しました。見知った仲間、先輩に加え、本宿、梧桐(四小)から集まってきた仲間が増えました。小学校時代に別のチームに所属して競い合っていた選手が、今度は仲間として活動をする。選手たちはとても柔軟にそのことを楽しんでいるように見えました。毎日、早朝から朝練に出かけ、夕方も部活としての練習を楽しみ、熱心に取り組んでいた様子でした。かなり走り込んでいたと思います。体付きが変わり、逞しくなっていきました。

子供たちが出会わせてくれた

 こんな子供たちの幼少期を思い出す時、ふと、自分自身も変わっていった、いえ、むしろ自分が人間として育ててもらってきたのではないかと感じるのです。保育園時代は自分の子供の様子をじっと見て、お友達は我が子の背景のように映っていました。三小時代はチームでの活動が増えたので、チームメイトたちも我が子のように感じ始めました。若かった私は、我が子の同級生を容赦なく叱りつけることも幾度もありました。そして卒団の瞬間に感動の涙を流しました。感動のあまり我を忘れ、子供たちが卒団した後もウイングスのコーチを続けることを決めてしまいました。  何故?一つには、我が子に続く後輩たちが大切だったからだと思います。今もこのウイングスでサッカー指導者を継続し、遂に監督に就任してしまったわけですが、ずっと続けていることには理由があります。毎年卒業していく選手たちは、時の流れとともに成長し、時々、三小のグランドを覗きに来てくれるのです。後輩の指導というよりは、自分の原点に戻って来ているのだと私は感じていて、そんな時、「今も変わりなくウイングスは元気だよ!」と彼ら、彼女たちを歓迎したいのです。  何故?に対するもう一つの答えは、いつの間にか強まっていたコーチたちとの絆が私を手繰り寄せたということです。このサッカーの繋がりはウイングスというクラブにとどまらず、武蔵野市サッカー協会少年部、東京都少年サッカー連盟ブロックへと広がっていきました。いつの間にかボランティア活動に没頭している自分がいたわけですが、このことが今の自分そのものであり、楽しみとなり今でも人との出会いは拡大し続けています。

ボランティア――ワクワクのフィールド

 ボランティアはだれか他人(ひと)のためにやっていると考えがちですが、気付くと自分のための活動になっているものなのではないでしょうか。実践されている方々は、すでにこのことに、気付いておられるはずです。この武蔵野の地は、私にとって、また、数多くの人々にとって大切なボランティアを実践するフィールドであり、なくてはならない場なのです。なにもコーチだけがボランティアをしているわけではありません。保護者、ご家族は大切なお子さんを家から送り出しているのですが、チームの活動を支えるためにたくさんのボランティア活動を実践されています。最初は我が子のためであり、義務的で、面倒な「お仕事」かもしれませんが、いつの間にか自分の生きる一部になっていき、仲間が増え、自分にとっての大切な時間になっていくのだと思います。  子供たちが元気にサッカーに取り組み、成長していく、「ワクワクのフィールド」がここにあります。そしてこの「ワクワクのフィールド」は子供たちだけのものではなく、それを支えていると思い込んでいる大人たちにとっても、大切な自分自身のワクワクになっているのです。  たまたま我が子がサッカー出身なので、サッカーの話になりましたが、三小には野球のイヤリングス、剣道の吉剣、ドッチビーの MDC など、さまざまな活動が盛んに行われており、長年にわたって脈々とその伝統が受け継がれています。

音楽と出会って……

 さて、そんなスポーツ少年・少女たちですが、実は、この三小・三中という地域に育つともう一つ、驚くべき活動が待っているのです。吹奏楽団。おおぜいの小学生が吹奏楽団に入団します。コンクールにも出場し、全国レベルで賞を取るからおおぜいが入団するという考えもありますが、真剣に取り組んでいるからこそ楽しいという側面が強く、子供たちはその魅力にとりつかれていきます。我が家の二人も、クラリネットとホルンを手にし、みるみる上達していきました。夏休みはお弁当を持って、毎日のように練習に出かけていき、夕方まで帰ってきません。そして秋にはコンクール。我が家は分業制になっていて、吹奏楽の活動支援はもっぱら妻が担当していましたが、演奏会の時だけは、私も楽器運びを手伝った後、本番を客席で鑑賞し、感動を共有していました。もちろん、子供の活動、活躍を応援していましたが、心の片隅に音楽活動は楽しそうで、羨ましいなぁ~という気持ちもありました。  そんな音楽活動、輝く子供たちの姿を羨ましく感じていた地域の大人たちが、何を勘違いしたのか、いえ、一念発起して自ら楽団を立ち上げるという壮(暴)挙に出たのです。2000 年のことでした。これが、MJO=おやじバンドの始まりでした。経験者などいないメンバーが、イメージというよりは妄想で自分のやりたい楽器を選び、財力にものを言わせて新品の楽器を購入してしまう。音階練習に取り組んだと思ったら、もう、数か月後には子供たちの演奏会にゲスト出演をすることを勝手に決めて、たったの 1 曲を演奏させてもらった。これが、最初の演奏会になりました。私も、このステージでピアノを担当した記憶が蘇ってきます。場所は武蔵野公会堂。本番前、手が震え、掌にドッと汗が噴き出してきます。仕事では決して味わうことのない緊張感でした。演奏の出来は言わずもがなですが、とにかく演奏後のビールの美味しかったことが忘れられません。これで、もう病みつきです。図々しくも、単独コンサートなどに手を染め、遂に、間もなく20周年を迎えます。

先輩たち――繋がりのワクワク

 地域と私の関わりに思いを馳せると、子供が保育園に通い出したころ、そこには「親」の先輩がいました。子供たちのためにバザーや BBQ を企画していました。何も分からない新米「親」の私は先輩の言うなりにお手伝いをし、いつの間にかどっぷりと浸っていったというわけです。こともなげに火をおこして薪を燃やし、大量の焼きそばを大汗かきながら見事に仕上げていく先輩たち。それを見よう見まねで覚えていった日々がありました。実は、この時の先輩「親」たちが例のバンドを作ったのです。子供の学年が違いますから、子供の成長とともに会う機会も減っていたのですが、ある日突然、また、一緒に活動するチャンスに恵まれたということです。これこそ、地域の力です。ワクワクフィールドにはスポーツと同時に音楽が生まれました。  さらに、我が家の子供たちが三中に通っていた時、60 周年記念行事がありました。保護者も出し物としてコーラスをやることになり、音楽好きの私は喜んで参加させていただきました。そのメンバーの中には、またまた先輩「親」がいたのです。それも、サッカーを通じて知り合った、他のクラブの指導者の方が熱心にコーラスに取り組んでおられるではありませんか。50 周年記念行事をきっかけに立ち上げた混声合唱団で立派な活動を続けていて、ひょっこり参加していた私をみつけ「一緒にやろう!」と声をかけていただきました。これが、コール・コスモです。またまた、ワクワク体験が増えました。今では、コール・コスモはゆとりえ、そ~らの家といった高齢者が集まる施設での演奏機会もしばしばあります。また、そ~らの家で活動中の合唱団コーアそ~らの定期演奏会に呼よんでいただき、いっしょに歌わせていただいています。もちろん、出演後には交流会にも参加し、今では街中でばったり遭遇し世間話をする間柄です。  このように、地域でのワクワク活動を幅広い年代で展開していると、ネットワークが広がり、そこに生きる大勢の人々が生き生きと元気になります。生活者が生き生きとなるためには、地域がこの活動を受け入れ、大切に支援できる素地が必要です。今まで築き上げて来たこの地域力をさらに発展させることが重要だと考えます。

経験を活かす

 さて、ここからは私が取り組んで来た仕事のことに触れてみたいと思います。1985 年に三菱鉱業セメント㈱に化学技術者として入社しました。名前の通りセメントを製造する会社です。セメントの主原料は石灰石です。鍾乳洞は石灰石でできた山の中の洞窟です。石灰石を焼くと白い粉になり、水と混ぜると固まる性質があります。この性質を引き出すためには、1,500℃を超える高温で焼成する必要があり、石炭を燃料として使用しています。セメントはビルを作る、橋を作る、いわゆるインフラを整えるために必要不可欠な材料ですが、石灰石など天然資源を大量に利用しなければならず、石炭を燃やすことにより二酸化炭素も排出しています。しかし、その製造プロセスには大量生産だからこそできることがあります。それは、さまざまな廃棄物を、原料や燃料の一部として活用できることです。少し前のことになりますが、廃棄物固形燃料(RDF)という言葉を耳にしたことがあるでしょうか?家庭から排出される生ごみを燃料に変えてしまう技術です。20 年ほど前、私は九州のある自治体でごみの焼却炉を燃料化工場に建て替えるプロジェクトに取り組みました。その町から焼却炉がなくなり、町中から発生する生ごみはすべて燃料として活用することに成功しました。そのプロジェクトの成功には二つのキーポイントがありました。一つは技術です。  廃棄物を取り扱うのはなかなか難しいことです。いろいろなものが入ってきますから、その多様性に対応する必要があります。地味ですが、実は高度な技術が必要です。二つ目は住民合意です。ごみ処理は確実に実施しなければならない、地域の問題であり、大切だということは分かっているのですが、いざ、自宅の近くに施設が建つことになると、迷惑施設だという気持ちが湧いてきます。NIMBY(Not in my Backyard)という感覚です。これは、ある意味で人間の自然な感情とも言えます。しかし、どこかに建てなければならない。感覚的には迷惑施設ですが、もちろん、悪臭、騒音、振動など想定される迷惑要素には考えに考え抜いて、技術的対応を施します。しかし、理屈ではない漠然とした不安感が最大の敵です。ここから合意にまで到達すること、大変な仕事でした。最も大切なことは、難しいことを分かりやすく、丁寧に説明することだと痛感します。今後の市政には、こうした技術力と地域とのコミュニケーターが必要だと思います。ビジネスでの経験を市政に活かしたいと考えています。  もう一つ、海外での仕事について触れます。2015 年からは NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構;国の機関)で日本の技術を海外に紹介、展開する仕事に従事していました。日本では 2001 年から法律が施行されて家電リサイクルを推進してきました。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンを適正にリサイクルをするものです。鉄、アルミ、銅を中心に、基板に含まれている貴金属も回収してリサイクルします。同時に、フロンなど有害物質を大気や海域に放出しないことが重要です。やはり、ここにも大切な技術が必要であり、日本は高度な技術開発に取り組んできました。この技術を ASEAN(東南アジア諸国連合)を中心に紹介し、採用を促進してきました。私はタイ王国、バングラディシュとインドを担当しました。この仕事を通して知ったこと、感じたことは、高度技術ならそのまま活用できるのかと言うと、そうではないということです。それぞれの国には文化がある、国民性も異なる。優秀な日本の技術を海外で活用するためには、現地の状況を適切に理解し、関係者の考えを聞くことから始まります。このステップが大変重要です。さらに、その情報をベースに技術そのものを各国に合わせ調整をしていく、チューニングをすることになります。この一連のやり方は、仕事だけではなく、ボランティア活動の進め方にも役立ちました。そして、地元でのコミュニティーづくりにも役立つと確信しています。  どんなに優れた技術でも、それを活用するフィールドとのマッチングが重要だということに触れました。また、技術は正に日進月歩なので確実にフォローする必要があります。市政にも数多くの技術が活用されています。技術の内容を理解することは不可欠で、また、いったん採用した技術がどんなに優れた技術であっても、必ず時の流れの中で陳腐化していくものです。フォローを続け、新しい時代に向けた確実な準備が必要です。  武蔵野市は住みたい町ナンバーワンになったことがあります。これは、過去のことです。海外での仕事、特にアジア諸国に技術を展開しようとすると、今となっては日本の技術は認めるものの、それをそのまま導入しようとは思わないと言われます。同じような技術は中国も持っていて、安く提供してくれると言います。技術レベルが近づいてくると、圧倒的に優勢だった過去のようにはいかなくなっているのだと、痛感します。武蔵野市も過去に積み上げたものがナンバーワンの地位を作ったのですが、その時点で留まっていると、気付くと陳腐化しているということになります。今は将来のための瞬間なので、今こそ将来の武蔵野のために適切な投資をする必要があると考えます。

循環型社会――ワクワクの地域づくり

 来るべき未来は、持続可能な循環型社会の実現にかかっています。資源の有効利用、すなわち、リサイクルの実践。エネルギーの効率的活用、すなわち、自然エネルギーの活用、これらのことは、地球規模で問題になっている温暖化対策に向けて重要な要素なのですが、実は、地域に分散して多くの市民が実践することが最も重要なのです。地域を中心に据えた循環型社会構築を目指し、武蔵野スタイルを実践することで最先端モデルとなることができるはずです。循環型社会構築は我慢の積み重ねではなく、ワクワクの地域づくりそのものです。それが、スマートシティーの目指すゴールです。電気代が圧倒的に安い町、魅力的ではありませんか? 炭酸ガスを排出しない電気自動車が走る、自動運転技術により渋滞なく、事故のない町、ガソリン代がかからなくなります。ワクワクですね。

人を活かす 施設を活かす

 地域には必ず公立学校があります。私の住んでいる地域では三小、三中ですね。地域の人口の構成が変化したため、児童・生徒が減った学校には空き教室など活用していない空間があります。一方、生徒数の減少に対応して、先生の数も減ってしまうという現実があります。中学校には、日本の伝統である部活動があります。学校単位で日頃学んでいる仲間と一緒に、学問以外の活動にも取り組む。公立学校には多様な背景を持った生徒が集まっていますので、アイディアを出し合い、お互いをリスペクトしながら工夫して活動することはワクワク体験になります。そこには、生涯の友が生まれます。この公立学校を地域の大切な財産として育てることが必要です。先生の数が減っていることが原因で部活動の先行きが危ぶまれています。すでに始まっていますが、地域の外部指導員制度をより充実することで解決できる問題と考えます。武蔵野市は少しだけ準備が遅れてしまったため、現在、活動と指導員のミスマッチが生じています。急いで解決しましょう。春になると、今年も新入生が入学して来るのです。待ったなしの課題です。  学校はいろいろな機能を果たす可能性に満ちた組織です。地域防災の拠点となります。災害時に助けられる側にいるのか、助ける側にいるのか、小学生も中学生も助ける側で活躍してほしいと思います。昼間であれば、皆学校に集まっています。日頃から、シミュレーションを繰り返し協力して地域貢献できるように備えることが大切です。  学校には IT 教育のためのパーソナルコンピュータ(PC)が導入されています。授業が終わった放課後や休日には、これらの PC は電源が入ることもなく休憩しています。一方、地域には漠然とした不安を感じ、できるだけネット社会を遠ざけようとしている高齢者がいます。学校施設を活用して便利な生活を体験してみませんか? 先生は、子供たちです。学校で身に着けたさまざまな知識を、今度は地域の高齢者の皆さんにお伝えするのです。外出が難しい方のご自宅には、赤ちゃんを育てているママが訪ねていき IT の先生となります。ママは高齢者のために IT の手ほどきをします。高齢者の方は、ママに昔話をしてあげてください。育児で悩んでいるママたちの心の負担が少し軽くなるかもしれません。ワクワクの互助的町づくりです。すでにある施設を活用し、ソフトを充実させることで、過剰な投資をすることなく、参加型の町づくりを実現しましょう。開かれた学校づくり協議会委員、青少協の地区委員を経験したからこそ、地域の課題が見えてきて、その解決へのアイディアが生まれます。これまでは、休日を活用してボランティアとして地域貢献を目指して来ましたが、これからは地域での活動をメインに据えて行こうと考えています。ビジネス社会で経験した様々な手法は、とても合理的で効率的です。それが全てではありませんが、その考え方を地域の経営に活かすことには意義があると考えます。